1: : 2021/07/12(月) 09:53:15.26 _USER9
7/12(月) 6:10
女性自身
魚住りえ クラスで勃発する聖子VS明菜争い「私は明菜派」
フミヤに会うのが夢!魚住りえさん/Copyright (C) 2021 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.
住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に衝撃を受けたアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「先日、『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)で、フミヤ(藤井郁弥)さんが『Song for U.S.A.』(’86年)と『ギザギザハートの子守唄』(’83年)を歌っているのを見たのですが、デビュー当時とキーが変わっておらず、声のハリもそのまま。“声フェチ”の私としては、感動するしかありませんでした!」
そう話すのは、フリーアナウンサーの魚住りえさん(49)。’80年代は“音楽好き”として過ごしたという。
「3歳から、いずれは音大のピアノ科へという夢を持って、1日2、3時間は自宅、週に1回は先生のところでレッスンを受けていました。ピアノ中心の生活でしたね」
両親は、ともに厳しかったそうでーー。
「テレビはNHKが中心でした。夜9時からの『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)は“子どもは寝る時間だから”と禁止。でも『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)は、夜8時からの放送だから見せてもらえたんです。音楽好きの両親と一緒になって『声に伸びがあって迫力あるね』『こぶしがきいててうまいねぇ』などと、いろいろ評論したりしていました(笑)」
■フミヤさんのルックスのファンに
歌番組があった翌日は、クラスの女子の間で(松田)聖子派vs.(中森)明菜派の勢力争いも激化。
「キラキラしている聖子さんもすてきでしたが、明菜さんの少しはにかんだ姿がアイドルっぽくなくて、私は好きでした。初めて親に買ってもらったレコードも『少女A』(’82年)で、それからデビュー曲の『スローモーション』(’82年)に遡って。来生たかおさんの曲はメロディアスですごく好き。『セカンド・ラブ』(’82年)も忘れられない曲です」
7歳上の姉の影響で、洋楽もよく聴いた。
「姉がほぼすべてのLPを持っていたデュラン・デュランに私もハマって。全盛期のメンバー5人で来日公演をした’05年に、インタビューすることができたのですが、感激しすぎて、何を話したのか覚えていないくらい。このときに、もらった全員のサインは、いまでも宝物です」
’80年代の音楽全般が好きだったが、なかでも衝撃を受けたのはチェッカーズだった。
「中学に入ったころ、仲よしのクラスメートから『チェッカーズって知ってる?』って言われて、すぐに見た『ザ・トップテン』で『涙のリクエスト』(’84年)を聴きました。“コレか! カッコいい”って。まずベビーフェースでおしょうゆ顔のフミヤさんのルックスのファンになりました」
親にせがんで『絶対チェッカーズ!!』『もっと!チェッカーズ』(ともに’84年)などLP盤のアルバムも買ってもらった。とくに思い出に残っているのは、『FLOWER』(’86年)に収録されている『Long Road』だという。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/bac91885544cad0761ccaf0b5c56622bdc3b3adc
女性自身
魚住りえ クラスで勃発する聖子VS明菜争い「私は明菜派」
フミヤに会うのが夢!魚住りえさん/Copyright (C) 2021 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.
住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に衝撃を受けたアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「先日、『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)で、フミヤ(藤井郁弥)さんが『Song for U.S.A.』(’86年)と『ギザギザハートの子守唄』(’83年)を歌っているのを見たのですが、デビュー当時とキーが変わっておらず、声のハリもそのまま。“声フェチ”の私としては、感動するしかありませんでした!」
そう話すのは、フリーアナウンサーの魚住りえさん(49)。’80年代は“音楽好き”として過ごしたという。
「3歳から、いずれは音大のピアノ科へという夢を持って、1日2、3時間は自宅、週に1回は先生のところでレッスンを受けていました。ピアノ中心の生活でしたね」
両親は、ともに厳しかったそうでーー。
「テレビはNHKが中心でした。夜9時からの『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)は“子どもは寝る時間だから”と禁止。でも『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)は、夜8時からの放送だから見せてもらえたんです。音楽好きの両親と一緒になって『声に伸びがあって迫力あるね』『こぶしがきいててうまいねぇ』などと、いろいろ評論したりしていました(笑)」
■フミヤさんのルックスのファンに
歌番組があった翌日は、クラスの女子の間で(松田)聖子派vs.(中森)明菜派の勢力争いも激化。
「キラキラしている聖子さんもすてきでしたが、明菜さんの少しはにかんだ姿がアイドルっぽくなくて、私は好きでした。初めて親に買ってもらったレコードも『少女A』(’82年)で、それからデビュー曲の『スローモーション』(’82年)に遡って。来生たかおさんの曲はメロディアスですごく好き。『セカンド・ラブ』(’82年)も忘れられない曲です」
7歳上の姉の影響で、洋楽もよく聴いた。
「姉がほぼすべてのLPを持っていたデュラン・デュランに私もハマって。全盛期のメンバー5人で来日公演をした’05年に、インタビューすることができたのですが、感激しすぎて、何を話したのか覚えていないくらい。このときに、もらった全員のサインは、いまでも宝物です」
’80年代の音楽全般が好きだったが、なかでも衝撃を受けたのはチェッカーズだった。
「中学に入ったころ、仲よしのクラスメートから『チェッカーズって知ってる?』って言われて、すぐに見た『ザ・トップテン』で『涙のリクエスト』(’84年)を聴きました。“コレか! カッコいい”って。まずベビーフェースでおしょうゆ顔のフミヤさんのルックスのファンになりました」
親にせがんで『絶対チェッカーズ!!』『もっと!チェッカーズ』(ともに’84年)などLP盤のアルバムも買ってもらった。とくに思い出に残っているのは、『FLOWER』(’86年)に収録されている『Long Road』だという。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/bac91885544cad0761ccaf0b5c56622bdc3b3adc
引用元https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1626051195/
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