何とも言えぬ寂しそうなあの顔は、今でもハッキリと覚えている。そして18歳の少年は、確かにこう言った。
「僕、行かなきゃいけませんかね?」と。
1992年11月21日。新高輪プリンスホテルで、第28回ドラフト会議が開催された。当時、在阪スポーツ紙の駆け出し記者だった私は、石川県の星稜高校にいた。7、8月は担当球団を離れ、臨時の「松井番」。ゴジラと呼ばれた松井秀喜と、北陸に初めて深紅の大優勝旗を持ち帰りたいと燃える星稜を追っていた。石川県大会の試合があるたびに、大阪から金沢まで特急雷鳥に乗り、勝ち上がるチームと打ちまくるゴジラを記事にしてきた。
順当に甲子園まで勝ち進み、あの明徳義塾戦も取材した。アルプススタンドから投げ込まれた無数のメガホンと、悲しそうに拾い集める部員の背中。怒号が飛び交う中、4番打者が5度目の打席でもバットを振らせてもらえなかった。1点が届かず、三塁側ベンチ前で相手の校歌を聴かされた。悲運の5番打者が、その先の人生でとてつもない重荷を背負うことになった。
異様なムードで始まった敗退のお立ち台で、松井少年は泰然と受け答えした。熱くなっていたのはむしろ記者の方であり、淡々と一塁に歩き続けた少年は、泣くわけでなく、明徳義塾の戦法をののしるわけでもなく。あの大物感こそが、惜敗を伝説にした。
本当に行きたいところは1つだけ
それから97日後に人生が決まった。プロには行くと決めていたが、本当に行きたいところは1つだけだということは、誰でも知っていた。まねたわけではないが、同じ右投げ左打ち。幼き頃、掛布雅之の31番をプリントしたシャツを着て、野を駆け回っていた。事前の指名決定あいさつでも、阪神だけテンションが違っていた。「佐野さんが来る! 佐野さんですよ!」と担当スカウトだった佐野仙好の名を連呼し、ほおを赤らめていた。
中日、ダイエー、阪神、巨人。開封
阪神がもっとしたたかな球団なら、競争率は下げられたことだろう。むしろゴジラの恋心を知っていたくせに、決定は遅れた。天下の巨人を袖にはできない。ダイエーと中日はOBがお世話になっている。サプライズはなく、予想通りの4球団競合。中日、ダイエー、阪神、巨人の順で抽選が始まった。
中日だけが中山了球団社長、ダイエーは根本陸夫新監督、阪神が中村勝広監督で巨人が長嶋茂雄監督だった。全員が右手で封筒を引き抜いた。開封。しばし間を置き、ミスターが笑顔のサムアップ。野球界の歴史が刻まれた。
北陸新幹線開通前。ミスターは電話をかけ、甲高い声で喜びを伝えた。会見、胴上げ。華やかな儀式は滞りなく終了した。晩秋の夜。なぜか校舎の非常階段で私と松井が2人きりになっていた。両手には缶ジュースが1本ずつ。「飲みますか?」と差し出され、受け取った。そして冒頭の言葉を投げかけられたのである。
相談。のわけがない。もし「断っちゃえよ」とそそのかしたとしても、歴史は何1つ書き換えられていない。諦観。本当は同意してほしかったのか。そんなに阪神に行きたかったのか……。駆け出し記者はうろたえながら「そりゃそうでしょ」とゴニョゴニョ言うのが精いっぱいだった。
中村監督は重なっていた2通の下を選んだ
歴史を書き換えられる隙間があったとすれば、抽選だろう。4氏の誰もが「当たり」の封筒に指先を触れたことになる。中村監督は2分の1。重なっていた2通の下を選んだと知っている。このドラフトの後日談として、ご本人から聞いたからだ。
「なんで下を引いたかわかるか? オレは(ドラフト会場の)東京に新幹線で入っただろ? だから下から、下からってね」
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ddeb3f49f68c22f0de5742126a7ed8aef068df
「僕、行かなきゃいけませんかね?」と。
1992年11月21日。新高輪プリンスホテルで、第28回ドラフト会議が開催された。当時、在阪スポーツ紙の駆け出し記者だった私は、石川県の星稜高校にいた。7、8月は担当球団を離れ、臨時の「松井番」。ゴジラと呼ばれた松井秀喜と、北陸に初めて深紅の大優勝旗を持ち帰りたいと燃える星稜を追っていた。石川県大会の試合があるたびに、大阪から金沢まで特急雷鳥に乗り、勝ち上がるチームと打ちまくるゴジラを記事にしてきた。
順当に甲子園まで勝ち進み、あの明徳義塾戦も取材した。アルプススタンドから投げ込まれた無数のメガホンと、悲しそうに拾い集める部員の背中。怒号が飛び交う中、4番打者が5度目の打席でもバットを振らせてもらえなかった。1点が届かず、三塁側ベンチ前で相手の校歌を聴かされた。悲運の5番打者が、その先の人生でとてつもない重荷を背負うことになった。
異様なムードで始まった敗退のお立ち台で、松井少年は泰然と受け答えした。熱くなっていたのはむしろ記者の方であり、淡々と一塁に歩き続けた少年は、泣くわけでなく、明徳義塾の戦法をののしるわけでもなく。あの大物感こそが、惜敗を伝説にした。
本当に行きたいところは1つだけ
それから97日後に人生が決まった。プロには行くと決めていたが、本当に行きたいところは1つだけだということは、誰でも知っていた。まねたわけではないが、同じ右投げ左打ち。幼き頃、掛布雅之の31番をプリントしたシャツを着て、野を駆け回っていた。事前の指名決定あいさつでも、阪神だけテンションが違っていた。「佐野さんが来る! 佐野さんですよ!」と担当スカウトだった佐野仙好の名を連呼し、ほおを赤らめていた。
中日、ダイエー、阪神、巨人。開封
阪神がもっとしたたかな球団なら、競争率は下げられたことだろう。むしろゴジラの恋心を知っていたくせに、決定は遅れた。天下の巨人を袖にはできない。ダイエーと中日はOBがお世話になっている。サプライズはなく、予想通りの4球団競合。中日、ダイエー、阪神、巨人の順で抽選が始まった。
中日だけが中山了球団社長、ダイエーは根本陸夫新監督、阪神が中村勝広監督で巨人が長嶋茂雄監督だった。全員が右手で封筒を引き抜いた。開封。しばし間を置き、ミスターが笑顔のサムアップ。野球界の歴史が刻まれた。
北陸新幹線開通前。ミスターは電話をかけ、甲高い声で喜びを伝えた。会見、胴上げ。華やかな儀式は滞りなく終了した。晩秋の夜。なぜか校舎の非常階段で私と松井が2人きりになっていた。両手には缶ジュースが1本ずつ。「飲みますか?」と差し出され、受け取った。そして冒頭の言葉を投げかけられたのである。
相談。のわけがない。もし「断っちゃえよ」とそそのかしたとしても、歴史は何1つ書き換えられていない。諦観。本当は同意してほしかったのか。そんなに阪神に行きたかったのか……。駆け出し記者はうろたえながら「そりゃそうでしょ」とゴニョゴニョ言うのが精いっぱいだった。
中村監督は重なっていた2通の下を選んだ
歴史を書き換えられる隙間があったとすれば、抽選だろう。4氏の誰もが「当たり」の封筒に指先を触れたことになる。中村監督は2分の1。重なっていた2通の下を選んだと知っている。このドラフトの後日談として、ご本人から聞いたからだ。
「なんで下を引いたかわかるか? オレは(ドラフト会場の)東京に新幹線で入っただろ? だから下から、下からってね」
https://news.yahoo.co.jp/articles/56ddeb3f49f68c22f0de5742126a7ed8aef068df
40: : 2020/10/09(金) 09:51:46.29
>>1
> 両手には缶ジュースが1本ずつ。「飲みますか?」と差し出され、受け取った。
この頃から記者に奢っているとはw
> 両手には缶ジュースが1本ずつ。「飲みますか?」と差し出され、受け取った。
この頃から記者に奢っているとはw
7: : 2020/10/09(金) 09:35:39.69
松井が本気で阪神に入りたかったのを知ってたから
徳光はずっと松井には冷めた態度で接してたな
徳光はずっと松井には冷めた態度で接してたな
10: : 2020/10/09(金) 09:37:59.61
な、なぜに阪神w
39: : 2020/10/09(金) 09:51:21.98
>>10
通学鞄にトラッキーのキーホルダー付けるほどの阪神ファンやぞ
通学鞄にトラッキーのキーホルダー付けるほどの阪神ファンやぞ
133: : 2020/10/09(金) 10:40:30.72
>>10
松井のアイドルは掛布雅之
松井のアイドルは掛布雅之
11: : 2020/10/09(金) 09:39:07.85
なんで野球って人一人の大事な人生をくじ引きのギャンブルなんかで決めてるの?
59: : 2020/10/09(金) 09:59:01.73
>>11
球団あっての選手だろ履き違えるなよ
球団あっての選手だろ履き違えるなよ
60: : 2020/10/09(金) 09:59:40.73
>>11
野球選手はNPBっていう会社に就職して各球団っていう部署に配属されるんだよ
一般の会社だって希望の部署に配属されるかは分からないし上司や周囲に恵まれるかも運だろ
野球選手はNPBっていう会社に就職して各球団っていう部署に配属されるんだよ
一般の会社だって希望の部署に配属されるかは分からないし上司や周囲に恵まれるかも運だろ
92: : 2020/10/09(金) 10:10:40.33
>>60
部長たちがくじ引きで新入社員を取り合うの?
部長たちがくじ引きで新入社員を取り合うの?
95: : 2020/10/09(金) 10:14:14.15
>>92
それも含めてエンタメとして見せてる興行会社だと思いな。
それも含めてエンタメとして見せてる興行会社だと思いな。
14: : 2020/10/09(金) 09:41:04.42
阪神ファンだけど、あの時の阪神では松井育てられなかったような気がする
15: : 2020/10/09(金) 09:41:23.28
虎ファンやけど、松井は巨人に行くべき選手やったんやろ。
藤浪見てると思う。生え抜きのスターなんて何年も出してない。
遡ると直近で赤星。更に遡ると新庄。どちらも松井の格にはもちろん足りな過ぎる
藤浪見てると思う。生え抜きのスターなんて何年も出してない。
遡ると直近で赤星。更に遡ると新庄。どちらも松井の格にはもちろん足りな過ぎる
57: : 2020/10/09(金) 09:58:30.33
>>15
それな
ただ、全盛期を過ぎたメジャーの後に来てくれたら嬉しかったな
それな
ただ、全盛期を過ぎたメジャーの後に来てくれたら嬉しかったな
68: : 2020/10/09(金) 10:03:19.89
>>57
体結構ボロボロやったらしいよ。
それでも、まあ日本ではまだ20本は売ったやろうけど
体結構ボロボロやったらしいよ。
それでも、まあ日本ではまだ20本は売ったやろうけど
17: : 2020/10/09(金) 09:43:14.00
阪神に行ったら潰されてた可能性高いな、本人には悪いが
あれだけの素材だから活躍しない事はありえないけどごく普通の日本人4番になってたような
あれだけの素材だから活躍しない事はありえないけどごく普通の日本人4番になってたような
30: : 2020/10/09(金) 09:48:16.74
年同じだからわかるけど掛布は本当に人気あったな
引用元https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1602203595/
コメントする