1: : 2020/04/28(火) 02:41:58.22
この4月でデビュー40周年を迎えた松田聖子(58)。昨年の紅白歌合戦でもメドレーを披露し、
いまだトップクラスの存在として音楽シーンに君臨する彼女だが、1980年代に激しいライバル争いを繰り広げたのが中森明菜(54)だ。
聖子と明菜は何が違ったのか? 今春、『1980年の松田聖子』(徳間書店)を上梓した芸能ノンフィクションライター・石田伸也氏が、歌詞を通じてライバル対決を読み解く。
* * *
80年代のアイドルシーンは、松田聖子と中森明菜による頂上対決が続いた。明菜のデビュー曲『スローモーション』(1982年)は最高位30位に終わり、
2作目の巻き返しが必要だった。起用されたのはコピーライターから1年前に転身した作詞家・売野雅勇である。
「参考にしたのは阿木燿子さんの一連の作品。
例えば『プレイバックPart2』の“バカにしないでよ”のように、捨てゼリフが生きるんだと思った」
「私は私よ関係ないわ」と叫ぶ『少女A』(1982年)である。
明菜は自分のイニシャルと同じであることに激しく抵抗したが、ディレクターは明菜を強引にマイクの前に立たせ、ほぼ一発でレコーディングを完了させた。そして明菜にとっても、売野にとっても初めての大ヒットとなった。
「明菜自身はバラードが好きだけど、本人が好きなものと、お客さんが求めているものは違うというのが『少女A』でわかったはず」
売野の感想である。実際、明菜は『少女A』が嫌いと公言しながら、セットリストから外すことはなかった。売野はさらに『1/2の神話』(1983年)、『禁区』(1983年)
、『十戒(1984)』(1984年)で初期の明菜イメージを作った。河合奈保子や、チェッカーズ、荻野目洋子、堀ちえみなども手掛け、80年代のアイドル歌謡シーンに君臨する。そんな売野にとって明菜は、もっとも描きやすい歌手だった。
「それは松田聖子という圧倒的な存在がいたから。彼女に対する対立概念として明菜に詞を書けば良かった」
売野の知るところでは、当時のアイドル歌手はほとんど聖子ファンばかりだった。明菜と同じく「82年組」と呼ばれた小泉今日子、石川秀美、早見優、松本伊代は、そろって聖子ちゃんカットでデビューしている。そんな〝絶対アイドル〟の座は、作詞家・松本隆による功績と売野は思った。
「ダイヤモンドみたいに、深い部分まで文句のつけようのない詞の世界。理想像としての女の子のかわいらしさを与えていた」
松田聖子の中にある「少女性」をうまく拡大して詞を描く。ならば明菜には「不良性」を与えたのが『少女A』である。売野にとって衝撃だった聖子ソングスは何か? そんな質問に、まず『赤いスイートピー』(1982年)、そして『風立ちぬ』(1981年)だったと答える。
「アイドルなのに『タバコの匂いのシャツ』と生々しいフレーズを使い、しかし、それは大人への憧れとしてファンタジーに昇華させた珍しい例。また『風立ちぬ』は、詞とメロディーのマッチングが絶妙だった」
聖子と明菜だけでなく、クリエイターたちも高次元のバトルを展開したのだ。
【プロフィール】いしだ・しんや/1961年、熊本県生まれ。「週刊アサヒ芸能」を中心に芸能ノンフィクションを執筆。主な著書に『ちあきなおみに会いたい。』(徳間文庫)、『甲斐バンド40周年 嵐の季節』(ぴあ)などがあり、最新刊『1980年の松田聖子』(徳間書店)が発売中。
※週刊ポスト2020年4月24日号
https://news.livedoor.com/article/detail/18143702/
2020年4月19日 16時5分 NEWSポストセブン
https://www.youtube.com/watch?v=Nita7HADKXM
中森明菜 スローモーション
https://www.youtube.com/watch?v=jTtZXJFmnPc
中森 明菜 セカンド ラブ
https://www.youtube.com/watch?v=rcaPgKJc4GQ
あなたのポートレート 中森明菜
いまだトップクラスの存在として音楽シーンに君臨する彼女だが、1980年代に激しいライバル争いを繰り広げたのが中森明菜(54)だ。
聖子と明菜は何が違ったのか? 今春、『1980年の松田聖子』(徳間書店)を上梓した芸能ノンフィクションライター・石田伸也氏が、歌詞を通じてライバル対決を読み解く。
* * *
80年代のアイドルシーンは、松田聖子と中森明菜による頂上対決が続いた。明菜のデビュー曲『スローモーション』(1982年)は最高位30位に終わり、
2作目の巻き返しが必要だった。起用されたのはコピーライターから1年前に転身した作詞家・売野雅勇である。
「参考にしたのは阿木燿子さんの一連の作品。
例えば『プレイバックPart2』の“バカにしないでよ”のように、捨てゼリフが生きるんだと思った」
「私は私よ関係ないわ」と叫ぶ『少女A』(1982年)である。
明菜は自分のイニシャルと同じであることに激しく抵抗したが、ディレクターは明菜を強引にマイクの前に立たせ、ほぼ一発でレコーディングを完了させた。そして明菜にとっても、売野にとっても初めての大ヒットとなった。
「明菜自身はバラードが好きだけど、本人が好きなものと、お客さんが求めているものは違うというのが『少女A』でわかったはず」
売野の感想である。実際、明菜は『少女A』が嫌いと公言しながら、セットリストから外すことはなかった。売野はさらに『1/2の神話』(1983年)、『禁区』(1983年)
、『十戒(1984)』(1984年)で初期の明菜イメージを作った。河合奈保子や、チェッカーズ、荻野目洋子、堀ちえみなども手掛け、80年代のアイドル歌謡シーンに君臨する。そんな売野にとって明菜は、もっとも描きやすい歌手だった。
「それは松田聖子という圧倒的な存在がいたから。彼女に対する対立概念として明菜に詞を書けば良かった」
売野の知るところでは、当時のアイドル歌手はほとんど聖子ファンばかりだった。明菜と同じく「82年組」と呼ばれた小泉今日子、石川秀美、早見優、松本伊代は、そろって聖子ちゃんカットでデビューしている。そんな〝絶対アイドル〟の座は、作詞家・松本隆による功績と売野は思った。
「ダイヤモンドみたいに、深い部分まで文句のつけようのない詞の世界。理想像としての女の子のかわいらしさを与えていた」
松田聖子の中にある「少女性」をうまく拡大して詞を描く。ならば明菜には「不良性」を与えたのが『少女A』である。売野にとって衝撃だった聖子ソングスは何か? そんな質問に、まず『赤いスイートピー』(1982年)、そして『風立ちぬ』(1981年)だったと答える。
「アイドルなのに『タバコの匂いのシャツ』と生々しいフレーズを使い、しかし、それは大人への憧れとしてファンタジーに昇華させた珍しい例。また『風立ちぬ』は、詞とメロディーのマッチングが絶妙だった」
聖子と明菜だけでなく、クリエイターたちも高次元のバトルを展開したのだ。
【プロフィール】いしだ・しんや/1961年、熊本県生まれ。「週刊アサヒ芸能」を中心に芸能ノンフィクションを執筆。主な著書に『ちあきなおみに会いたい。』(徳間文庫)、『甲斐バンド40周年 嵐の季節』(ぴあ)などがあり、最新刊『1980年の松田聖子』(徳間書店)が発売中。
※週刊ポスト2020年4月24日号
https://news.livedoor.com/article/detail/18143702/
2020年4月19日 16時5分 NEWSポストセブン
https://www.youtube.com/watch?v=Nita7HADKXM
中森明菜 スローモーション
https://www.youtube.com/watch?v=jTtZXJFmnPc
中森 明菜 セカンド ラブ
https://www.youtube.com/watch?v=rcaPgKJc4GQ
あなたのポートレート 中森明菜
130: : 2020/04/28(火) 09:52:06.58
>>1
勝負だとしたら、どこをとっても松田聖子の勝ち
勝負だとしたら、どこをとっても松田聖子の勝ち
147: : 2020/04/28(火) 10:04:49.64
>>1
若い頃の松田聖子の歌を聴くと
ほんと歌上手いのが分かる
まず発声が桁外れだね
元々歌が上手いタイプ
hicとかなかなり余裕持って出してる
おそらくhie辺りも出せてたはず
若い頃の松田聖子の歌を聴くと
ほんと歌上手いのが分かる
まず発声が桁外れだね
元々歌が上手いタイプ
hicとかなかなり余裕持って出してる
おそらくhie辺りも出せてたはず
2: : 2020/04/28(火) 02:42:33.27
ロックンルージュ好きだった
7: : 2020/04/28(火) 02:47:38.14
聖子はスキャンダルを利用して人気を得てる気がして、子供心に邪道だと思った。
歌手としては明菜の勝ちだと思う。
歌手としては明菜の勝ちだと思う。
12: : 2020/04/28(火) 03:06:06.22
松田聖子は90年代始めくらいまで週刊誌はおろかアイドル誌にまで堂々と叩き記事が載ってたな
一種のエンタメになってた感じ
一種のエンタメになってた感じ
13: : 2020/04/28(火) 03:07:16.16
松田聖子が好きな野郎っていたのか?
俺は明菜しか興味なかったよ
俺は明菜しか興味なかったよ
17: : 2020/04/28(火) 03:19:20.38
斉藤由貴が出てくるまではみんなあの髪型だったな
34: : 2020/04/28(火) 04:27:37.18
>>17
薬師丸ひろ子のストレートおカッパ
大沢逸見の男らしいショート
意外と亜流は存在してたね
薬師丸ひろ子のストレートおカッパ
大沢逸見の男らしいショート
意外と亜流は存在してたね
19: : 2020/04/28(火) 03:23:28.56
初期のふっくらした明菜が可愛かった
21: : 2020/04/28(火) 03:41:45.44
赤い鳥逃げたの12インチは聴きまくったな
36: : 2020/04/28(火) 04:28:42.95
2曲目で売れたのも同じだよね
37: : 2020/04/28(火) 04:31:57.04
松田聖子は明るいからなぁ
明菜は暗すぎ
顔は圧倒的に明菜の方が好きだったけど
明菜は暗すぎ
顔は圧倒的に明菜の方が好きだったけど
42: : 2020/04/28(火) 04:44:56.81
聖子はメンタルが鋼鉄
45: : 2020/04/28(火) 04:56:13.43
ワイは明菜派やった
1番好きな曲はタンゴノアールや
1番好きな曲はタンゴノアールや
48: : 2020/04/28(火) 05:13:10.55
初期の明菜のシングルsweetとbetter交互に出してたのが良かった
引用元https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588009318/
コメント
コメント一覧 (1)
だから「アイドル=松田聖子」だし、
未だに「クイーンofアイドル」と語られる。
さらにあの時代における日本の音楽の「天下一武道会の場」が~『松田聖子』だった。
ゆえにあらゆる俊英が「聖子の楽曲作り」に集った。
g_project
がしました
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