1: : 2020/04/30(木) 19:16:28.06
『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています!  今回は栗田シメイ氏に、幼い頃に見た今中慎二のスローカーブを回想してもらいました。

1993年の甲子園球場の阪神対中日戦。初夏にさしかかる7月だったと記憶している。

マウンドでは2人の左腕が投げ合っていた。

湯舟敏郎と今中慎二。筆者は兵庫県民としてご多分に漏れず、阪神ファンの一員として一塁側ベンチで初のプロ野球観戦に興じていた。試合は阪神が勝利したが、どうにも相手チームの細身の左腕に目を奪われた。

大きな弧を描き曲がるカーブの球速は80キロ台。かと思えば、涼しい顔で140キロ台後半のストレートを投げ込む。当時6歳で野球の技術が分かる年齢ではなかった。
プロの強打者達が、なぜあの遅球を打ちあぐねるかを理解する知識は持ち合わせていなかった。

それでも、阪神打撃陣のタイミングをことごとく外し三振の山を築く今中の投球術は芸術的とすらいえた。
この試合、ひいては今中が投じたスローカーブを観て以降、関西在住ながら中日ファンとして肩身が狭い思いで過ごすことになる。

この年、今中は17勝、247奪三振、防御率2.20を記録し、最多勝と最多奪三振のタイトルに加え沢村賞を受賞した。

今中は名門・大阪桐蔭の4期生として、'89年にドラフト1位でドラゴンズに入団している。2年目には10勝、3年目も12勝を挙げ、プロ入り後早い段階から頭角を現した。
以降、'93年から'96年まで4年連続で開幕投手を務める押しも押されもせぬエースに成長する。今中で負けたら仕方ない――。
それが当時の名古屋の街での共通認識だった。

233試合に登板、完投数は74。

球史に残る'94年の「10.8決戦」。満身創痍ながら先発マウンドに上がったのも、この背番号「14」だった。
だが4回5失点とまさかの乱調で、世紀の一戦の負け投手として名前が刻まれている。エースとして、チームから求められれば中4日の強行スケジュールでも完投した。

233試合に登板し、完投数は実に74を記録。入団後と引退前の数年間はリリーフでの登板が多かったことを考慮すれば、驚異的な完投率だろう。25歳までに87勝を挙げ、その内25勝が巨人戦というジャイアンツキラーでもあった。

そんな今中を好投手からエースへと昇華させ、自身の代名詞となったのが、スローカーブの存在だ。
今中がスローカーブを多投するようになったのは、'92年シーズンからだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200430-00843329-number-base
4/30(木) 19:01配信

https://www.youtube.com/watch?v=udMZzX1edis


中日ドラゴンズ 今中慎二 カーブとストレートを見極めろ! 81球見逃しストライク!

https://www.youtube.com/watch?v=x-vg-mT4o8E&t=12s


中日ドラゴンズ 今中慎二 1試合16奪三振

https://www.youtube.com/watch?v=aSsn7uTk428


燃えよドラゴンズ1999優勝記念

https://sp.baseball.findfriends.jp/player_image.php
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http://npb.jp/bis/players/71173868.html
成績

4: : 2020/04/30(木) 19:17:20.49
捕手・中村も驚かせたスローカーブ。

'92年シーズンの滑り出しは好調だった。4月前半に早々と3勝を挙げ、最高のスタートを切っている。だが、4月19日の巨人戦で打球が左手を直撃するアクシデントに見舞われた。診断結果は、左手豆状骨の骨折。リハビリは2カ月に及んだ。
野球人生初の骨折に、恐怖からストレートを投げることを躊躇し、練習ではカーブを多投したという。

怪我の功名か、カーブの曲がり幅は以前とは大きく異なっていた。8月17日の復帰戦で和田豊に投げたスローカーブについて、今中は自著『悔いは、あります。』の中でこう話している。

「和田さんもびっくりしていたが、中村さん(中村武志)はもっと驚いていた。無理もないだろう。以前までの僕だったら、こんなに落差の大きいカーブを投げることはできなかったのだから」

結果的に故障が今中に授けたスローカーブは、投球スタイルに幅をもたらした。しなやかな肘使いから投げ込まれる速球、フォークの威力も増し、60キロ近い球速差は打者を惑わした。変幻自在、という表現が今中ほど似合う投手を他に知らない。

女房役の中村が、「(変化球とストレートの投球フォームがほとんど変わらず)リリースの直前までサイン間違いか不安になった」と話すように、投球フォームから球種を判別することは不可能に近かった。

完投のためにイニングで球種を使い分けるのも今中の特徴だった。カーブとストレートを活かすために、1試合に数球はフォークを投じた。
生命線でもあったスローカーブだが、今中にとってはあくまでピッチングの組み立ての中の1球種であり、自ら特別視することはなかったのかもしれない。

今中の真っ向勝負に心が奪われた。

それでも打者にとっては、ポーカーフェイスを保ちながら淡々と投げ込まれる、体験したことのない軌道で“消える”カーブは厄介なことこの上なかった。

「ボールが視界から消えたと思えば、手前で急激に現れる」

対戦した打者の中には、そんな表現を使う者もいた。

今中の三振シーンが、打者が腰をのけぞらせての見逃し、全くタイミングが合わない手打ちのようなスイングが多かったのも、スローカーブを織り交ぜた緩急自在の投球術によるものだろう。
左打者が頭越しのボールからストライクゾーンに落ちるボールに避けるように体が起きるのは理解できるが、右打者のインコースへ沈むカーブでも、体を泳がせるほどのキレがあった。

ストレートやフォークを痛打される場面の記憶はあるが、スローカーブをジャストミートされてスタンドまで運ばれた印象はほとんどない。同じ左腕でスローカーブの使い手としては、星野伸之が思い浮かぶ。
ほぼ同時期に活躍し、ストレートにスローカーブにフォークと球種も類似しているが、通算176勝を挙げた星野より今中に惹かれたのは、変化球でかわす投球ではなく、打者に真っ向勝負を挑む投球スタイルによるところが大きい。

三振を奪ってもクールな振る舞いでベンチに戻る一方では、相手チームの主力打者に対しては意図的にストレートでねじ伏せるという強い意思もあった。

6: : 2020/04/30(木) 19:18:43.58
松井との対戦、三振かホームランか。

今中は好打者として落合博満、前田智徳の名前を挙げており、常に全力投球したと回顧している。
特に巨人に移籍した後の落合には、意地のストレート勝負を挑んだ。その結果、痛打される場面もあったが多くの名勝負を生み出した。

そして、松井秀喜との対戦は手に汗握った。通算対戦打率は2割9分7厘、ホームラン6本と打ち込まれている反面、20もの奪三振も奪っている。
三振かホームランか――。若かりし日の怪物と球界を代表する左腕の対戦は、プロとしての矜持がぶつかり合い、今中のギアが入れ替わる瞬間でもあった。
あの松井が、今中のスローカーブには腰が引けて見逃す姿に、球場に集ったドラゴンズファンは歓喜した。

タイトルとは縁がなかった「14番」。

中日には確たるウイニングショットを武器に活躍した左腕の系譜がある。

山本昌のスクリューボール、岩瀬仁紀の高速スライダー、野口茂樹のスライダー、チェン・ウェインのストレート。
もちろん今中のスローカーブもその系譜に当てはまる。

ただ、彼らが決め球を駆使しチームの優勝に貢献した一方で、今中が勝ち星を重ねた7シーズンの間はチームタイトルとは縁がなかった。
優勝争い時はチーム事情のため中4日でフル稼働したが、結果的にこの時の酷使が肩の故障に影響した可能性も取り沙汰された。エースとして優勝を味わうことがなかったのは、引退会見時の「後悔はありません。
ただ、悔いはあります」という発言に繋がったのかもしれない。

96年に左肩を痛めて以降は不振に苦しんだ。翌'97年から2001年の引退までの5年間で、白星はわずかに4つ。
一度だけ、ファームで調整する引退前の今中の投球を観に行ったことがある。球速は120キロ台で、シュートやフォークを組み立てながら苦心する今中の姿があった。
カーブは相変わらずよく曲がったが、コントロールが定まらないストレートは二軍打者にも容易に見切られていた。

最後に投じた4球は全てストレート。

'02年3月の引退セレモニーが行われたオリックスとのオープン戦。今中は対峙した谷佳知に対して、4球を投じた。球種は全てストレートで、球速は最速で110キロだった。
引退後、記者からカーブを投げなかった理由を問われた今中は、その答えを自著の中でこう記している。

「カーブを投げるつもりはまったくなかった。これは真剣勝負ではない。わざわざ用意してもらった引退セレモニーの舞台で変化球を投げるのは、失礼だと思ったのだ」

時代が移り、プロ野球界ではスライダーや高速ムービングボールの変化球が主流となりスローカーブを操る投手は激減した。
メジャーではカーショーやクルーバーらの活躍もあり近年カーブが再び脚光を浴びているが、ドロップのように割れて落ちる類のもので、今中が投じていたカーブとは異なるものだ。
ダルビッシュ有や三浦大輔のスローカーブも、今中のカーブのような大きく曲がる軌道を描く球種ではない。

強烈なスピンがかかり空中に浮かび上がったと思えば、打者の手前でボールが意思を持ったかのような放物線でうねり沈んでいく――。
あの美しい軌道のスローカーブが野球界から消えて、今年で20年が経とうとしている。

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3: : 2020/04/30(木) 19:17:13.37
パワプロで使うの面白い投手だった

7: : 2020/04/30(木) 19:20:20.19
地味だが良い投手だったんだよ

この投手はもっと記憶に残るべき。隠れたエース扱いは不当

まぁ活躍期間が短いのが印象不足なんかね( ω-、)

引用元https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588241788/